枝
折峠 は,
村道銀山平線として太平洋戦争の真只中, あらゆる困難を排して開通した.
開通当時, 湯之谷村長湯之谷村森林組合長の現職にあった故星清右エ門氏は
「近代文化興隆の鍵は道路にある」 と唱え, この枝折峠越えの自動車道開通が,
世紀の大工事である奥只見発電所建設に直結したという.
現在の枝折峠越えの道は, 国道352号として指定されているものの,
一車線区間が長く続く非常に険しい山岳道路の様相を呈している.
この厳しさ故, 麓の大湯温泉から福島県境までは二輪車と大型車が通行止め,
さらに, 同じく大湯温泉から奥只見湖の西端である銀山平までは,
午前は銀山平方向への一方通行, 午後は大湯温泉方向への一方通行と通行制限がかけられている.
また, 現在では全線舗装されているが, 1991年の道路地図を見ると未舗装路となっており,
峠越えも今より厳しいものであったようだ.
枝折峠を初めて越えたのは1999年の7月であったが,
ここでは2000年の8月に再訪したときの様子を紹介する.
参考文献
峠と旅
こちらのページでも枝折峠を紹介されています.
国道を旅する
こちらでは未舗装時代の枝折峠を紹介されており, 貴重な写真を見ることができます.
[2000年8月26日 走行, 2003年8月3日 作成]